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札幌高等裁判所函館支部 昭和25年(う)47号 判決

被告人

日本水産株式会社

右代表者代表取締役 横山繁介

外一名

主文

被告人竹岡紀義の本件控訴を棄却する。

被告会社に対する原判決を破棄する。

被告日本水産株式会社を罰金十万円に処する。

理由

被告会社及び被告人竹岡紀義弁護人島村鋭郎の控訴趣意第一点は、

原判決は法令の適用を誤り無罪を有罪とした違法があるから破棄しなければならない。

一、原判決の判示した通り、被告会社は漁業並びに水産加工業を営むもの、被告人竹岡紀義は同会社函館支社調度課長として業務用物資購入等の業務に従事してゐたもので、本件取引は被告人竹岡紀義に依つて同会社のために昭和二十二年九月十日頃から同年十二月十一日頃迄の間に前後十回に亙つて行はれたものである。

二、原審第三回公判調書を閲するに、

(一)  裁判長の問に対し被告人竹岡紀義は

(前略)

問、此取引によつて購入した品物はどう処分したか。

答、全部会社の漁業用資材として使用致しました。

問、どうして斯様な取引をしたか。

答、当会社は遠洋漁業を建前として居りましたところ、終戦後は近海漁業への転換を余儀なくされ、従来使用して居た資材は近海漁業には使用されず私は手を尽して資材をやりくりして仕事を続けるやうにして参りましたが、政府からの資材割当量は全く僅少で、会社にも手持ち資材がなく、此まゝでは支障を来すやうな状態になりましたため、得意先である植竹さんから都合して頂いたのでありました。

問、当時正規のルートを通して配給されたものは、需要量のどの程度のものであつたか。

答、(前略)配給されてゐた品物の数量は大体需要申込量の十パーセントにも満たない程でありました。現在では需要量丈け配給になつて居りますので、正規のルート丈で充分間に合ひます(後略)と供述し、

(二)  裁判長の問に対する被告会社代表代理人小杉は、

(前略)

問、最近被告会社の営業成績はどうなつておるか。

答、本店の方は判りませんが、余りよい成績ではないと思ひます。函館支社の方は昭和二十二、三年共赤字になつてゐます。と供述し

(三)  弁護人の問に対し証人道正長光は

問、昭和二十二年頃の日水函館支社に於ける従業員の総数は。

答、その頃支社には社員、高級船員、常傭漁失と臨時雇を合せて二百二、三十人居りました。

問、右従業員に対する給与の総額は。

答、大体三百五十万円程度でありました。

(中略)

問、支社が独立採算制となつたのは何時からであるか。

答、終戦後支社の経費は本社でまかなへない状態になつて、その様な制をとるやうになり現在までどうにかやつて来て居りました。と供述し

(四)  裁判長の問に対し証人久保田順治は

(前略)

問、昭和二十二年頃同漁業会は会員に対し漁業用物資の配給をした事があるか。

答、あります。

問、その取扱品目は。

答、配給品の主なるものをあげますと綿糸、綿網、マニラ糸製品及び燃料等であります。

問、その当時右製品に対する需要と配給との関係はどうであつたか。

答、昭和二十二年度は漁業用物資が最も不足した年でありまして、その頃右のやうな品物の配給は需要者からの申請の三割五分乃至一割位しか出来ない状態でありました。

問、その頃会員である日水函館支社への配給割合はどうしてあつたか。

答、大体需要に対する一割五分程度であつたと思ひます。

問、現在の配給状態は。

答、現在では右物品の需要量を上廻る位の配給がされて居ります。と供述して居る。

前敍一、及び二、の事実並びに各供述を綜合考覈すれば、

(一)  被告会社は従前遠洋漁業(北洋方面)を主体として居たが敗戦後、日本漁業がソ連勢力の影響で勘察加、千島一帯の北洋から駆逐されたため近海漁業に転換するの己むなきに至つたが、従来使用の資材は近海漁業に転用するに適しないものが多く新規に所要の資材を集める必要に迫られた。

然るに本件取引当時即ち昭和二十二年度に於ける漁業資材配給状況は、曾て無い最悪の様相を示し、政府からの資材割当量は実需の一割乃至一割五分程度に過ぎなかつた。

(二)  此配給量だけに依存したのでは被告会社函館支社の事業経営は成り立たない実状に置かれたのである。

個人漁業者であるならば、一時着業を見合せることも可能の場合があるであらうが、被告会社は多年雇傭して来た多数の従業員を擁して居る。函館支社所属の従業員だけでも二百二、三十名に達する。漁業を休止したのでは之等の従業員を養つてゆくことが出来ない。従業員の死活に関する問題である。殊に函館支社の経理は函館支社関係の事業から得る収入を以て賄つてゆかなければならない所謂独立採算制になつている。本社に依存してはならない建前である。

函館支社従業員二百二、三十名の生存を護るために是が非でも作業しなければならない。配給資材が不足であるからといふ理由で着業を見合せることは事情が到底許さないのであつた。

そこで函館支社は昭和二十二年度秋から冬に亙つて、上磯沖で鰮定量網二ケ統宮城県、岩手県、近海で延繩漁業の作業を強行して、従業員のために支社所要経費を或程度収得しやうとしたのである。

(三)  所が其漁網が足りない。漁網補修用綿糸が足りない。ロープが足りないといふ始未である。此状況に当面して被告人竹岡紀義は函館支社の調度課長(当時資材課長)であつた立場上、拱手傍観するわけにゆかなかつた。会社に儲けさせる儲けさせないの問題ではない、支社関係事業存廃の岐るゝ所であり従業員の死活問題である以上、所要物資は非合法手段であつても獲得するの万已むを得ない事情を認識し、之れを実踐することを覚悟せざるを得なかつたのである。

敍上の事情動機に徴し、本件取引は会社並びに多数従業員のためにする緊急避難行為であり、当時此取引を避けることは何人を竹岡の地位に立たせても全く期待不可能であつたことを認めて然るべきである。従つて本件事案に対しては、刑法第三十七条を適用し無罪の判定を下すべきであつたのに原判決が茲に到らなかつたのは、畢竟価格超過の形式にとらはれ、事案の実相に対する洞察を欠き、形骸の末に起つた誤りに坐するものである要之原判決は法令の適用を誤つた違法があり破棄を免れない。

というのである。

(イ)  所論のように、敗戦の結果被告会社が従来目的としていた遠洋漁業から近海漁業に転換しなければならなくなり、それに要する資材は所定の正規の手続によつては従業員その他従来のままの会社の経営規模を維持するに必要な量の一割乃至一割五分しか入手できないので、その余は闇資材に賴らなければならず、若し之に賴らないとすれば経営を縮少しなければならない状態にあつたとしても、刑法第三十七條に所謂自己又は他人の生命、身体、自由若くは財産に対する現在の危難とは、個人の右法益が危険にさらされている状態をいうのであつて、之を会社、組合等の法人又は之に類する社団、財団にまで拡張して解すべきものではなく、又会社経営の規模を縮少して従業員の一部を解雇することになつても、その解雇によつて直ちにその従業員の前記法益に対する現在の危難を生ずるとは解し難い。従つて本件は緊急避難であるとの主張は採用しない。

(ロ)  又右のような場合においては何人といえども闇資材を購入する以外に如何なる方法もなかつたとは到底解されないから、被告人竹岡が本件犯行をなさないことを期待することは不可能であるとの主張も採用しない。従つてこの点に関する論旨は理由がない。

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